第十一日 信仰に関する問いに関して教会が過ちを犯すことはありますか?

信者全体としては、信仰において過つことはありません。なぜなら、イエズスが彼の使徒達に、真理の霊を送る事、彼らを真理に留まることを約束したからです。(聖ヨハネによる福音書 14章17節)

使徒達が心からイエズスを信じたように、キリスト者は、教会に対して全幅の信頼を寄せて、その生きる道に関して尋ねることができます。

イエズス・キリスト自身が、使徒達に対して、教える事を指示した様に、教会は教える事に関しての権威(マジステリウム:教導権)を有しており、決して沈黙を保ったままではありません。

教会の構成員個々の人においては、過ちを犯す事があります。それは深刻な事もあり得ます。それでも教会全体としては主の真実から落ち離れる事は決してありません。

教会は年月を通じて、教会自体よりも偉大な、生きた真実を運び続けてきました。

それは即ち、信仰の遺産(デポジティウム・フィデイ)の事であり、それは保持されて行くものなのです。

もしそうした真実が論争の対象となったり、ねじまげられることがあれば、教会は「何が、いつも、どこでも、誰からも信じられているか」(レリンの聖ヴィンセント)再び明瞭にするよう招かれています。

詳細には、「カトリック教会のカテキズム」88-100項を参照しましょう。